暗黒物質ヤミノ酸

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最近なんだか人前で食事をするのが恥ずかしいなと感じた

こんにちは、最近人前で食事をするのが恥ずかしくてしかたがない相川です。

今回はどうして冒頭のように「食事が恥ずかしい」という考えに至ったか書いていきます。

 

 

まず、どうして食事が恥ずかしいのか、それは「人間の三大欲求」に尽きます。

食欲、睡眠欲、性欲の順に人間が生きていくうえで欠かせない欲望を「食」という行為を通じてさらけ出すわけでして、人前で食事をするという行為が「人前で涎を垂らした寝顔を晒す」、「人前で手慰みをする」といった行為と同義だなとふと感じてしまったからです。

 

千と千尋の神隠し」というジブリ映画がありました。

冒頭、主人公・千尋の両親は屋台にある料理にがっついて豚に変わってしまいます。

僕が食に対して感じるようになったものがこの「飯を食らう」という行為はもっと辿っていけば「欲望をむき出しにする」というところに通じてしまって、無性に恥ずかしくなってしまったという次第です。

日本では田村正和さん、海外ではマイケル・ジャクソンが人前で食事を摂らない人物としてしばしば話題に挙がることがありますが、二人に共通しているのが「イメージを崩さないため」という点。

僕はタレントでもないですが、「人前で食事を摂る」というイメージが少なくともマイナスに作用すると考えている人もいるというのは少しほっとしたところでもあります。

 

最近は「会食恐怖症」といって、過去の食事を通じた失敗が原因で人前で満足に食事を摂ることができないという方が増えているらしいのですが、先に言っておくと僕は食事で失敗したという経験もないですし、極度に人が苦手というわけでもないです。

食べようと思えば食事をしますし、急ぎでご飯を済ませたい時はファストフード店なんかにも普通に出入りします。(できればテイクアウトが理想なのですが。)

ただ、純粋に他人の前で欲望をさらけ出すという行為に通じる食事が「露出狂」のようなものに感じられて、他人の前でものを食べることに妙な恥じらいを感じてしまうのです。

 

昔の言葉に「同じ釜の飯を食う」という慣用句があり、一般的には「苦楽を共にする仲のたとえ」なんていわれますが、もしかしたら「欲望」をさらけ出しても良いという間柄をさしていたのではないだろうかと考えるほどには人前で食事をすることが恥ずかしく感じてなりません。

今後はできるかぎり人前ではご飯は食べたくないなぁと思っている次第です。